皷神社 歴史

 


古事記』『日本書紀』には吉備津彦命の吉備平定の説話が記載されているが、当社はそれに関連した人物を祀っている。



平安時代中期の『延喜式神名帳には備中国 賀夜郡(かやぐん)に「鼓神社」と記載され、式内社に列している。往時には5社殿があり「鼓五社大明神」と称したという。



江戸時代に入り、寛永21年(1644年)、足守(あしもり)藩主・木下利当(きのした としまさ)から社領2石が寄進された。



明治5年、近代社格制度において村社に列し、明治14年に県社に昇格した。