サムハラ神社 サムハラについて サムハラの故事

 

· 曾子(そうし。孔子の弟子)が病になって臨終の際に、弟子に体の全部を調べさせ、一つの傷痕もないのを見て安心し「父母に体を受けて生まれて幸いにも一つの傷痕もなくお返しする事ができるのはを尽くしたことだ」と言い、生命の守護神(サムハラ大神)に深く感謝したという。



身體髮膚 受之父母 不敢毀傷 孝之始也

身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり


— 孝経(こうきょう)

 



· 加藤清正文禄・慶長の役の時、サムハラを武器の刃に彫りつけて信じていたために万死に一生を得たという。

 


· 耳嚢(みみぶくろ。耳袋)巻2に、1782年天明2年)、新見愛之助という小姓が登城の時に馬ごと坂の下に落ちたが怪我がなかった。他の者に理由を聞かれると領民から送られた守護札を見せ「領民が野においてキジを矢で射たが当たらず、逃げようともしない。弓がうまい者たちが競ったが駄目であった。このキジを捕まえたところ背中にサムハラの4文字が書いてあった。『この文字を書いた札を懐に入れておくと良いことがある』と流行った。」と語ったとの記述がある。

 


· 平田篤胤の『仙境異聞』(せんきょういぶん)(上) 三之巻に慶長年間に大樹公(征夷大将軍のこと)が狩で発見した鶴の羽にあった文字(サムハラの文字)が怪我よけとして広まり、寅吉が仙骨の人の符字のようなものに見たが、「ジヤク、コウ、ジヤウ、カウ」というように聞いたがよく知らないと言ったという。

 


· 岡田挺之(おかだ ていし)の随筆『秉穂録』(へいすいろく)に「福岡でを捕ったところ、鶴の翼に「さむはら」という四文字の符字があった。長命の符字であるだろうと人々はこれを写し取って帯びた。また斎藤実盛(さいとう さねもり)の位牌が淡路のある寺にあり、位牌の背にこの四文字がある。最近、江戸でこの符字を帯びた人が落馬したが怪我が無かったので、これを帯びることが流行した。」とある。

 


· 國安仙人(くにやすせんにん。万延元年(1860年)7月23日‐大正元年(1912年)9月28日 幼名 米太郎 普明光美 加波山神社(かばさんじんじゃ)の摂末社 普明神社(ふみょうじんじゃ)に祀られる。)が信者に与えたタク字による霊符の最初の4文字がサムハラの文字(読みは「けん しょう けん ご」)であったという。