兵主神社(西脇市) 由緒
兵主神(ひょうずのかみ)は、漢の高祖が「蚩尤(シユウ)」を祀り、勝利を祈った事に由来するとされ、鍛冶屋神(武器製造の神)であるとする見方(貝塚茂樹)もある。
社伝では、延暦元年(782年)、大和国から播磨国の国衙に赴任した岡本修理大夫(しゅりのだいぶ)により、森林を開拓して社殿が築かれ、2年後の延暦3年(784年)、大和穴師の兵主神(穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ))を勧請したとされる。 穴師神社については、『日本の神々2』によれば「左座 八千戈命 亦曰大国主命 神体広矛 兵主伊豆戈神是也」 と『大国主命分身類土鈔』に記されており、このことから中世には兵主神を八千戈命と関連付けられていたと推測されている。