トヨウケビメ 神話での記述
『古事記』では伊弉冉尊(いざなみ)の尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(倉稲魂命)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。
伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。
『丹後国風土記』逸文には、奈具社(なぐのやしろ。奈具神社(なぐじんじゃ))の縁起として次のような話が掲載されている。丹波郡比治里(ひじのさと)の比治真奈井(ひじまない)で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住んでいたが、十数年後に家を追い出され、あちこち漂泊した末に竹野郡(たけのぐん)船木郷(ふなきごう)奈具の村に至ってそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売神(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。
尚、『摂津国風土記』逸文に、 止与宇可乃売神は、丹波国に遷座する前は、摂津国 稲倉山(いなくらやま。所在不明)に居たとも記されている。また、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀る宮を多賀宮(たかのみや。高宮。外宮境内社)という。