阿宗神社 由緒 ②
天文18年(1549年)
地頭代官周東宗次が鳥居を再興
元亀(げんき)3年(1572年)10月25日
社殿が炎上する
天正(てんしょう)2年(1574年) 9月
弘山八幡宮として再建
慶長(けいちょう)12年(1607年)
舞殿・拝殿再建
寛政(かんせい)5年(1793年)
本殿の屋根替を行い、龍野城(たつのじょう)城主生駒侯御供田三反を寄進
文化(ぶんか)7年(1810年)
八幡宮1500年忌祭を執行し、相撲を興行した記録あり
文化8年(1811年)
京都吉田家(吉田神道)鈴虎縫殿、巡回の節に式内極書を下す
天保(てんぽう)3年(1832年)
龍野藩主脇坂淡路守雨請祈願をする
明治期に阿宗神社に改称
明治7年(1874年)2月(明治4年4月とも)
郷社に列格
明治13年(1880年)
幣拝殿建て替えが落成し、正遷宮及び臨時祭典を執行
明治14年(1881年)6月
縣社に昇格
大正5年(1916年)
神饌幣帛料供進神社指定