阿宗神社 由緒 ①
欽明天皇32年(571年)
大伴狭手彦(おおともの さてひこ)が勅を奉じて宇佐八幡宮の分霊を立岡山(たつおかやま)に勧請した
天平宝字(てんぴょうほうじ)8年(764年)
藤原貞国(ふじわらの さだくに)、新羅軍追討の祈願を行う
延長(えんちょう)5年(927年)
延喜式の小社に列格
文治(ぶんじ)5年(1189年)
内山城主 鹽津義綱(しおつ よしつな)が揖東郡(いっとうぐん)廣山村の現在地に遷座
文永(ぶんえい)3年(1266年)
杜殿風壊につき再建、楽々山円勝寺(ささやま えんしょうじ)別当持となり、神輿行幸の祭典が始まる
(それ以前は、紀内山太夫・綾部竹之進らが宮守として奉仕する)
正応(しょうおう)元年(1288年)
時宗開祖の一遍上人が和歌を奉納
建武(けんむ)3年(1336年)
新田義貞が足利尊氏討伐の為に本営を置く
嘉慶(かけい、かきょう)2年(1388年)3月
国司前越後守赤松顕則が田地を寄進
天文(てんぶん、てんもん)6年(1537年)
樂々山円勝寺が廃寺となり、斑鳩寺がこれに替わって別当寺となる
天文10年(1541年)12月2日
兵火のために社殿及び末社を焼失