岩屋神社(明石市) 由緒

 


社伝によると、成務天皇13年6月15日に天皇の勅命により、淡路島の岩屋より神を勧請して創祀されたと伝えられる。同年夏に当地の子供に淡路島の岩屋の神が懸かり、当地に勧請するようお告げがあり、勧請したという伝承もある。



文政8年(1825年)に渡辺容信によって著された淡路地誌『淡路草』にも淡路石屋神社(いわやじんじゃ)分霊を明石岩屋神社に遷したことが記されている。明石浦の名主、前浜六人衆が新しい舟を仕立てて淡路から神を遷す際、海がたいへん荒れて舟を明石浦の浜に着けることができず、西方の林崎前の赤石(明石の名の起源)へ舟を着け、海難防止と豊漁を祈った。明け方には海も静まり、現在の地に無事神様をお迎えすることが出来たが、このとき地元の住民が沖まで泳いで出迎え、「ご神体と一緒に乗船するのは畏れ多い」と泳ぎながら舟を押して岩屋の地に着いたという。



創祀以来、稲爪神社(いなづめじんじゃ)海神社(わたつみじんじゃ。神戸市)と並んで東播磨地域の古大社として人々の厚い崇拝を受けた。特に明石城の産土神として尊ばれ、例年藩主自らが参拝する神社のひとつであった。元文2年(1737年)には藩主松平直常(まつだいら なおつね)の世継ぎ直純(なおすみ)が「鎧始めの儀」の際に当社に参拝し、以後、世継ぎの鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となった。



明治12年(1879年)、県社に列す。昭和0年(1945年)7月、太平洋戦争の明石空襲により社殿が焼失したが、同29年に再建された。