焼火神社 その他 謡曲「焼火山(しょうかざん)」

 


別名を「雲上寺」ともいい、『新謡曲百番』に収録。この曲集は内藤風虎(ないとう ふうこ。内藤義概(ないとう よしむね))寛永3年(1626年)、または寛文6年(1666年)以後、貞享2年(1685年)にかけて、江戸時代初期の番外曲の中でも比較的珍しい曲100番を集めて編纂したともさせたともいわれるもの。なお、当時の他の番外曲集に、別名を「焼火山」という「石神」なる曲が載せられており、作者付(さくしゃづけ)の『自家伝抄』に宮増(みやます)作として「石神(いはかみ)」の曲が見えるので、宮増作あるいはその改作の可能性もあるが、「焼火山」の別名を持つ「石神」も宮増作の「石神」も現伝していないため3者の関係は不明である。



当神社へ参拝に訪れた出雲大社神職ワキ)が社頭で出会った老翁(前ジテ)に縁起を語ってもらうが、この老翁は実は「山の主」(神)の化身であり(前場)、後場で「霊神」(後ジテ)として登場、舞いを舞うというあらすじ。初番目物しょばんめもの。荒神物)に属す。



稚拙な詞章と誤認が見られると評されるが、少なくとも焼火山が広く知られた存在であったことは分かる。