大国主 信仰 

 


国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰される。『古事記』上つ巻、及び『日本書紀』神代紀(下)に拠れば、スクナビコナらと共に「大国主が行った国作りとは、人々に農業や医術を教え、生活や社会を作ること」であったとされる。荒ぶる八十神を平定して日本の国土経営の礎を築いた。また出雲大神には祟り神としての側面があり、転じて「病を封じる神(医療神)」になったという。古事記には、出雲大神の祟りで口がきけなかった誉津別命ほむつわけのみこと。垂仁天皇第一皇子)が、出雲大神に参拝することで口が利けるようになったとの逸話がある。



医療神としての信仰の事例を近世挙げると、1883年(明治16年)10月に明治天皇皇后昭憲皇太后)もしくは大正天皇の生母 柳原愛子(やなぎわら なるこ)が病弱だった明宮(はるのみや。のち大正天皇)の健康を祈り、出雲大社より大国主の分霊をとりよせ、明宮が生活していた中山忠能(なかやま ただやす)邸の神殿に祀っている。大正天皇は皇太子時代の1907年(明治40年)5月27日東郷平八郎元帥等と共に、出雲大社を参拝した。先述の「記紀にて人々に医術を教えた事による医療神信仰」に加えて、大正天皇は己卯の年の生まれ(平易に言えば干支は卯年の生まれ)であるので、(大国主の兄弟神たち・八十神に嘘の治療法を教えられて浜辺で泣いていた兎を正しい治療法・蒲の穂の花粉で癒やしたという因幡の白兎の)逸話等から験を担いだものとされる。



また大国主は縁結びの神としても知られる。縁結びの神とされる由来は、大国主が神事を治める出雲には毎年10月に諸国の神々が集い(神在月。かみありづき)、出雲の大国主の下で神々が人々の縁結びについて話し合われるという逸話から、主宰神たる大国主に縁結びの信仰が生まれたとされる。また、大国主命が福徳によって助けた兎に言われた通りヤガミヒメと縁が結ばれた逸話や、須勢理毘売命を始めとする多数の女神と結ばれたことによるという解釈もある。



出雲大社は「大国主神が幽世(かくりよ)の神事の主催神となられ、人間関係の縁のみならず、この世のいっさいの縁を統率なさっている」として、男女の縁のみならず、広く人と人との根本的な縁を結ぶ神であるとしている。出雲大社の主張に対しては、「元々その信仰そのものが江戸時代国学によって作られたもので、古くにはないものであり、上記の俗説が民間信仰となって広まったため」だとする説もあるが、比較神話学の立場から国学とは無関係に古く存在していた信仰である可能性も指摘されている。