那売佐神社 歴史

 


出雲国風土記神門郡(かんどぐん)条に在神祇官社の「奈賣佐社」と「那賣佐社」の2社が記載されている。『延喜式神名帳』出雲国神門郡には「那賣佐神社」と「同社坐和加須西利比売神社」の2社の記載があり、この時点ですでに2つの「ナメサ社」が合祀されていたと考えられる。



天和3年(1683年)に成立した『出雲風土記鈔』には俗に「岩坪大明神」と呼ばれていると記されている。享保2年(1717年)に成立した『雲陽誌』には「高倉明神」という社名で俗に「岩坪明神」と呼ぶと記載されている。永禄5年(1562年)の当社の棟札から室町時代後期にはすでに旧社地の岩坪(後述)から現社地に移転していたものとみられる。『雲陽誌』にはまた「波加佐社奈売佐社あり」と記載されていることから、『出雲国風土記』不在神祇官社の「波加佐社」の一つを合祀したとも考えられる。



明治5年(1872年)に近代社格制度における郷社に認定された。