倭文神社(鳥取市) 歴史 御由緒

 


續日本紀和銅五年712秋七月の條下ニ、因幡國ニ於テ綾錦ヲ織ラシメラレシ由ヲ記セルニ依ツテ考フレバ、此ノ年以前巳ニ当社祭神 建葉槌命ノ子孫ニシテ、大和國葛木(=葛城)地方ニ本居ヲ有シ機織ヲ業トセル倭文部ノ部民ガ、当地ニ来往シテ本居ニ従ツテ倭文郷ヲナシツツ祖業ヲ継承シ来タリシモノノ如ク、ヤガテ其ノ氏上神ニシテ業祖神タル建葉槌命ヲ奉斎シテ当社ヲ創始セルモノト思料セラル。


續日本紀和銅五年712秋七月の條下、因幡國て綾錦をらしめられしせるにつてふれば、此年以前巳当社祭神 建葉槌命の子孫にして大和國葛木(=葛城)地方本居機織とせる倭文部の部民、当地来往して本居つて倭文郷をなしつつ祖業継承たりしもののやがて氏上神にして業祖神たる建葉槌命奉斎して当社創始せるものと思料せらる