アメノヒボコ 考証 ②
『古事記』中に見えるアカルヒメを祀る「比売碁曾社」(ひめごそしゃ)に関しては、『延喜式』神名帳での摂津国 東生郡(ひがしなりぐん)の「比売許曾神社」、現在の比売許曽神社(ひめこそじんじゃ。大阪府大阪市)に比定される。大阪市付近では式内社として赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ。杭全神社(くまたじんじゃ)飛地境内社)の分布も知られるが、この伝承に関わるアカルヒメは元々は日矛を祀った巫女を表すといわれる。このようなヒメコソの神の伝承は『日本書紀』垂仁天皇紀にも記され、そちらでは都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の伝承として記述されるが、その伝承はアメノヒボコ伝説と同工異曲のため同一の神に関する伝承と見られている。「天日槍」の名称自体についても、「ツヌガ(角干:最高官位)アラシト(日の御子の名)」の日本名になるという説もある。これらの伝説においてアメノヒボコは新羅王子、都怒我阿羅斯等は大加羅王子として相違があるが、これは元々出自を同じくする朝鮮渡来の蕃神伝承が日本側で実際の特定の国に割り当てた時に生じた食い違いだと推測される。
出石の神宝に関しては、『日本書紀』『古事記』において数・内容とも相違が存在しており、これを呪術的な『古事記』の神宝の消耗に伴い現実的な『日本書紀』の神宝に置き換わったとする説はあるが詳らかでない。『日本書紀』では、清彦が神宝のうち刀子の献上に強い抵抗を示すが、その刀子が韓国慶州の天馬塚(てんまづか/チョンマチョン。59本)、兵庫県豊岡市の二見塚4号墳(9本)、兵庫県朝来市の城ノ山古墳(9本)で見つかっていることに伝承の歴史的背景が指摘される。これらの神宝の献上はレガリアの献上を意味し、出石族一族が抵抗を示しながらもヤマト王権に服属したことを表すとされる。また、これ以後王権に忠節を尽くす様は田道間守(たじまもり/たぢまもり)伝承に象徴されると見られる。