神仏習合 歴史 天道思想

 


日本史の中でも人気の高い時代である戦国時代は、歴史学の上でも、現在の日本社会の原型が成立した最も重要な時代とみなされている。この時代の日本では、宗教や信仰も大きな隆盛をみせていた。戦国時代には、神仏習合の観念と符節を合わせるように、さらに「天道思想」が戦国武将に広がり、「天運」「天命」を司るものと認識され、仏教・儒教に日本の神道が結合した、天道思想を共通の枠組みとした「諸宗はひとつ」という日本をまとめる「一つの体系ある宗教」を形成して、大名も含めた武士層と広範な庶民の考えになり、日本人に広く深く浸透されるようになった。



この「天道」の観念は、中国から流入した儒教道徳により浸透したとされ、古くは『日本書紀』『今昔物語集』にも見ることができる。天道は『周易(しゅうえき)尚書(しょうしょ)などの古代中国にあり、「自然の摂理(道理)」や「」の人格化に伴いその意志を示す語ともなった。日本では加えて、天道は「人間の運命」を左右するものとされ、「神仏」の加護と同等とみなされ、「世俗的道徳」の遵守、「内面的倫理」を重視することで「心中の実」が天道に適うことが大切とされた。戦国武将も天道に反する行いによって罰を受けるとして、神仏への起請を破ること、世俗道徳を破ることで、天道に見放されると感じていた。織田信長豊臣秀吉徳川幕府も天道思想の持ち主であった。



天道思想の拡大の背景のひとつには、五山禅林(ござんぜんりん)を中心とした諸教一致の思潮がある。五山の禅僧は、禅学を中心としながら広く他の思想にも関心を示したが、これを保証したのが儒仏道の三教一致の思想であり、中国の禅林の思想が移入されたものであったが、日本では道教(道家思想)を神道に置き換えながら、神儒仏一致の思想として受け入れられた。



「天道思想」が浸透した日本の宗教観では、諸宗派・諸教団がそれぞれの神仏を戴いて共存することが、即ち天道に適うとされた。当時の日本は「日本宗」ともいうべき共通の宗教的心性を育んだ「見えない国教」が形成されており、「天道」の観念のもと教義も行動様式も異なって見える諸宗派が、実は同一の思想的枠組に収まる共存的宗教観が上下を分かたず共有されており、諸宗は「政教分離」的な原則を共有して活動していた。「天道思想」は近世以降も続いていき、個々人の倫理と道徳を保証するものとなり、また素朴な信仰面では太陽と結びつけられ「おてんとさん」として太陽信仰の一部となっている。天道思想は明治維新によってその地位が失われたが、現在でも「おてんとうさまに顔向けができない」といった俗諺にわずかに残っている。