神仏習合 歴史 神本仏迹(しんほんぶつじゃく)説

 


鎌倉時代末期から南北朝時代になると、僧侶による神道説に対する反動から、逆に、神こそが本地であり仏は仮の姿であるとする神本仏迹説を唱える伊勢神道唯一神道(ゆいいつしんとう。吉田神道)が現れ、江戸時代には儒学の理論により両派を統合した垂加神道(すいかしんとう/しでますしんとう)が誕生した。これらは神祇信仰の主流派の教義となっていき、神道としての教義確立に貢献した。



しかし、神仏習合の考え自体は明治時代の神仏分離まで衰えることなく続いている。現在、仏教の寺院の墓地における墓石板塔婆(いたとうば)がそれぞれ石と木で作られることを、神社における磐座(いわくら)神籬(ひもろぎ)の影響とする説があるように、近現代においても日本人の精神構造に影響を及ぼしている。