郡衙 各地の郡衙 ②

 


志太郡衙(しだぐんが)は、駿河国志太郡(しだぐん)の郡衙で、静岡県藤枝市南駿河台一丁目に所在する。別称を御子ヶ谷(みこがや)遺跡という。この郡衙は、大井川の形成する扇状地の北辺丘陵地帯にあり、東・西・南の三方を囲まれ、およそ130×120メートルほどの小さな谷地形のなかに位置している。1977年(昭和52年)御子ヶ谷地区の水田地で多量の遺構(板塀で囲まれた区画の中に掘立柱建物群(30)・井戸・門・道路遺構、地名「志太」・官職名「大領」(だいりょう)などを記した269点の墨書土器・木簡など)が発見され、地方官衙の可能性が出てきた。1980年(昭和55年)10月、「志太郡衙跡」として国の史跡に指定された。遺跡の建物群は南北・東西に方位をそろえ整然と配置され、西・東の二グループに分けられる。西半分には規模の大きい東西とを中心に井戸をもつ広場や南北棟が近接しており、中枢部分であると推定されている。東半分には倉庫・雑舎様の建物が密集しており、これを囲むように土塁状施設や杉板による板塀が設けられている。



嶋上郡衙(しまかみぐんが)は、摂津国島上郡(しまかみぐん。嶋上郡)郡衙で、大阪府高槻市川西町・清福寺町・郡家ぐんげ新町に所在する。別称は郡家川西遺跡である。1970年(昭和45年)5月から翌年にかけての緊急発掘で、奈良時代の大型掘立柱建物群が検出され、井戸の底から「上郡」と記された墨書土器(土師器)数点が出土した。続いての範囲確認調査で約三町の郡家域が想定され、1971年(昭和46年)5月に国の史跡に指定された。西側に伝継体天皇陵の今城塚古墳(いましろづかこふん)が存在する。8世紀には郡衙が成立し、10世紀後半頃には崩壊していったと推定されている。