物部神社(柏崎市) 歴史 創建・伝承
社伝(江戸時代の『二田宮伝記』)によれば、祭神・二田天物部命は天香山命(あめのかぐやまのみこと/あまのかぐやまのみこと。越後国一宮の彌彦神社(いやひこじんじゃ)祭神)に従って高志国(こしのくに。越国)に来臨したという。そして石地(現・柏崎市西山町石地)で天香語山命と別れたのち、多岐佐加の二田を献上する者がいたので、その地に居を定めて里を「二田」と称したと伝える。また、二田天物部命は二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたという。
また社伝では、当社の社地は数回の移転を繰り返したという。それぞれの遷座は次の通り。
· 崇神天皇年間、12世孫・物部稚桜命が社を石地浜から南大崎へ遷す、着船の丘を「船岡山」とする。
· 推古天皇年間(593年-628年)、亀岡山の中腹へ。
· 神亀年間(724年-729年)、土生田岡へ。
· 弘仁年間(810年-824年)、亀岡山の山頂へ。
· 天仁元年(1108年)、亀岡山麓の現社地へ。
亀岡山の旧跡は明徳年間(1390年-1393年)の古図に見え、この図には山頂の奥宮に至るまでに大小多数の堂宇のあった様子が記されている。