金毘羅権現 金毘羅参り

 

塩飽水軍(しわくすいぐん)は金毘羅権現を深く信仰し、全国の寄港地で金毘羅信仰を広めることに貢献した。



江戸時代後期には、象頭山松尾寺金光院に詣でる金毘羅参りが盛んとなった。これに伴って四国には、丸亀街道、多度津(たどつ)街道、高松街道、阿波街道、伊予土佐街道をはじめとする金毘羅街道が整備された。神仏分離以降は香川県琴平町の金刀比羅宮が全国に約600社ある金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)の総本宮となっている。縁日は毎月10日である。

 



金毘羅講

江戸時代の庶民にとって金毘羅参りの旅費は経済的負担が大きかったので、金毘羅講という宗教的な互助組織()を結成して講金を積み立て、交代で選出された講員が積立金を使って讃岐国象頭山松尾寺に各金毘羅講の代表として参詣し、海上交通安全などを祈願して帰郷した。

 



こんぴら狗・流し樽

金毘羅講以外にも、こんぴら狗(いぬ)流し樽などの代参の習俗もあった。陸上では犬、水上では流し樽(舟)に賽銭を入れて金毘羅権現に祈願する木札や幟(のぼり)とともに放ち、誰か見ず知らずの者に代参を依頼するもので、これらをみつけて代参した者には依頼者と同様にご利益があると信じられた。