新川神社(富山市) 歴史
『日本三代実録』貞観9年(867年)2月27日条に「正五位上、新川神に従四位下を授く」という記述が初見で、同18年7月11日には従四位上に昇叙されているが(同書)、『延喜式神名帳』の記載はない(国史見在社)。元の鎮座地は志麻郷八島野(現在の富山市五本榎(ごほんえのき))であり、中世以降は新庄城の鎮守とされた。元和元年(1615年)夏、常願寺川(じょうがんじがわ)の洪水により社殿が浸水したので、高台の現在地に遷座した。江戸時代中期から明治維新までは立山権現(雄山神社(おやまじんじゃ))の前立社とみなされ、立山に参詣する者は必ず当社に参拝した。明治6年(1873年)に郷社に列格した。
なお、立山山麓の芦峅寺(あしくらじ)の姥堂(うばどう)が明治の廃仏毀釈により取り壊された時、「姥堂は式外社・新川神社である」として再興が願い出られたが、証拠不十分として認められなかった。現在、芦峅寺の後裔である雄山神社中宮の境内には、末社として新川姫神を祭神とする治国社(ちこくしゃ。宝童社(ほうどうしゃ))がある。