シタテルヒメ 異説・俗説
記紀の比売許曽神社の記述から阿加流比売神(あかるひめのかみ)とシタテルヒメを同一視し、垂仁天皇の条に登場する清彦(きよひこ)は、天日矛(アメノヒボコ)の四代後とされており、天日矛が来たのは3世紀前半となり、魏志倭人伝に描かれた卑弥呼の年代と一致するとする説を唱える者もある。
兄弟となるアジスキタカヒコネについては、各地の神社の伝承から事代主、一言主(ひとことぬし)、大物主(おおものぬし)、大山咋神(おおやまくいのかみ)などがその異名同神の可能性が高くそのアジスキタカヒコネあるいは父神の大国主、母神の多紀理毘売との組み合わせから市杵島姫(イチキシマヒメ)(宗像三女神(むなかたさんじょじん)、弁才天と習合)、ミツハノメ、アメシルカルミズヒなどもシタテルヒメの異名同神と考える者もいる。
江戸時代の偽書 『ホツマツタヱ』では、タカヒトとイサコの間に生まれた長女ヒルコ(昼子姫)が、結婚した後に天照大神の妹神として下照姫と名乗ったとされている。同書では和歌の女神の和歌姫として記されており、天照大神の妹としてワカヒルメ(稚日女尊)とも名乗り、他界するとき、アマクニタマ(天津国玉)の娘のオグラヒメ(小倉姫)に、和歌の奥義を記したクモクシ(雲奇)文を授けて、下照姫を襲名させたとされている。神上(かみあ)がってから後に、歳徳神(としとくじん)と称えられたと記されている。