皇學館大学 沿革 略歴 神宮皇學館の創設

 


神宮教院本教館が廃止されてから半年に満たない1882年(明治15年)4月30日、久邇宮朝彦親王より「今般林崎文庫ニ皇學館設置候条、此旨相達候事」なる布達が出され、同年7月6日には内務卿皇典講究所賛襄の山田顕義(やまだ あきよし)宛に「皇學館設置ノ儀向」が提出され、教育機関の再興運動が始まった。ただし、学校の設立は順調に進んだわけではなく、内務省からの設置認可は1883年(明治16年)5月26日にようやく下り、生徒を募集して教育活動を本格的に始めたのは1885年(明治18年)以降のことであった(開校式は1883年(明治16年)4月28日に挙行)。皇學館の教育目的から教導職の養成はなくなり、基礎教養を授けた上で神道の専門教育を施すという新たな目標が掲げられた。設立当初は小学校との両方に籍を置く児童もいたが、1886年(明治19年)の小学校令公布によって、そのような幼年者は小学校に転籍され、皇學館は中等課程以上の学校となる方向付けがとられた。1887年(明治20年)には皇學館から神宮皇學館に改称され、学科は尋常科(尋常小学校卒業程度の者を対象・4年制)とその上級にあたる高等科(4年制)に編成し直された。のち、一時期は尋常中学校相当のレベルに短縮されたものの、専門教育機関としての体裁を整える方向に進み、幾度の改定を経て、1899年(明治32年)には、予科生を全員三重県立第四中学校に移して予科を廃したことで、本科(4年制)・専科(3年制)からなる専門学校となった。1898年(明治31年)には予科・本科生に徴兵猶予の資格が、1899年(明治32年)9月には中等学校教員の無試験検定資格(歴史科・国語漢文科)が認定され、1902年(明治35年)2月には本科卒業生に奏任官、専科卒業生に判任官相当の神職資格が付与されることとなった。そして、名実ともに1903年(明治36年)9月1日より、「神宮皇學館官制」に基づく、内務省管轄の官立専門学校(ただし専門学校令によらない)として認定されるに至った。