嶽六所神社 由緒
社伝では大宝年間(701年 - 704年)の創建という。式内社である「山本郡 一座 小 副川神社」のあった場所とされている。中世には修験道の影響で観音信仰や八幡信仰の場となり、本来の祭神が忘れ去られていた。江戸時代に入り秋田藩主 佐竹義格(さたけ よしただ)が藩内古社の復興を行った際に現 副川神社(そえがわじんじゃ。現秋田県八郎潟町(はちろうがたまち))の場所が比定地とされ、秋田藩三国社に列せられているが、古代山本郡は近世以降の仙北郡(せんぼくぐん)であり、皇學館大学や郷土史家等の調査ではこちらが本来の副川神社であるとされている。副川神社の論社には、他に添川神明社(そえがわしんめいしゃ。現秋田県秋田市添川)(志賀剛氏説)があるが、一般的には本神社と里宮である八幡神社が古社地であり、近世に復興されたのが現副川神社と言われている。
里宮である八幡神社は、1872年(明治5年)郷社となる。