鳥の海の干拓 伝説の背景 歴史的背景
明永・明保長者による「鳥の海の干拓」と満徳・地福長者の伝説は、ともに鎌倉時代以降に成立した伝承と考えられるが、いずれも古い時代の横手盆地の開発を物語ると考えられる。丘陵を切り開いて湖水を流し出して干拓するという明永・明保長者の人智・人力を超越するような働きは、言い換えれば、膨大な数の民衆を駆使して大がかりな土木工事をとりおこない、用排水を大々的に整備して、低湿地をどんどん耕地に変えていった開発領主の姿である。ここに、御嶽・副川などの式内社に出てくる神が登場しているのは、横手盆地の開発が、これらの信仰と固く結びついて展開されたであろうことを示唆している。
満徳・地福長者の伝承については、それぞれが富貴をあらわす縁起のよい名がつけられており、11世紀から12世紀にかけて全国各地でみられる伝説と共通点が多い(ただし、それだけで伝承の成立年代まで結論づけることはできない)。この2人の長者もまた、多数の百姓をかかえる開発領主であるが、ここでも御嶽信仰、熊野信仰が結びついており、中央、地方にまたがる由緒づけがなされている。特に長者の系譜に出羽清原氏が登場している点が注目される。ここで『陸奥話記』(むつわき)の前九年合戦における清原軍の陣立てなどをみると、清原氏が各地の領主層と思われる吉美侯氏(きみこうじ。吉彦氏(きみこうじ))や橘氏を組織し、陸奥側の安倍氏に匹敵もしくは凌駕する軍勢の動員力を有している点から見て、「長者」と清原氏の間に何らかの関係があったと考えても決して不自然ではない。
いずれにせよ、この2つの伝説は、古代末期から中世初頭にかけての辺境における農地開発や在地権力の形成の様相の一端を示すものではないかと考えられるのである。