鳥の海の干拓 伝説の背景 満徳長者・地福長者伝説
「鳥の海の干拓」の長者伝説は「三熊野社別華厳院古記」に記載された伝承であるが、これとは別に「秋田六郡三十三観音巡礼記」には、
長者森の満徳長者(まんとくちょうじゃ)は、卜部保昌(うらべ やすまさ)といい、出家して保昌坊と称した。彼は、紀伊国の熊野の霊所に詣でて上洛し、仏師定朝(じょうちょう)に観音三十三体を造らせ、教円阿闍梨(きょうえんあじゃり)の開眼供養をうけて帰り、秋田三十三観音札所を草創した。また、平鹿、山北、雄勝の各郡に吉沢・杉沢の流れを用水としてひき、百姓に田畑を多く耕作させて、大きな屋敷に住み、蔵を数えきれないほどもち、牛馬、犬、鶏も多数飼って富み栄えた。その系譜をたどれば地福長者(ちふくちょうじゃ)もその一族であり、それぞれ、清原光頼(きよはらの みつより)・清原武則(きよはらの たけのり)と血縁関係にある。
という満徳長者・地福長者の伝説の記載がある。