塩湯彦神社 由緒

 


社伝によれば672年白鳳12年)、役行者が開基したとされる。「出羽国平鹿郡 鹽湯彦神社」として延喜式に見える、いわゆる式内社である。元々は平鹿盆地の東側にそびえる御嶽山(みたけさん)の温泉の神であったらしいが、熊野修験道の影響を受け、中世には「熊野堂」と称した。そのためか、速玉尊(はやたまのみこと)を祭神としている。



一時期荒廃し、同郡内の式内社である保呂羽山波宇志別神社(ほろわさん はうしわけじんじゃ)の神職である大友家が別当を務め、神楽役の三梨家が実際の管理を行ってきた。江戸時代に入り秋田藩藩 佐竹義格(さたけ よしただ)が藩内古社の復興を行った際に復興され、秋田藩三国社として江戸時代を通じて崇敬された。1872年明治5年)郷社となる。



1963年昭和38年)、豪雪により社殿が倒壊し、里宮に祭祀の場が移っていたが、1982年昭和57年)有志により再建された。