隠津島神社(二本松市) 文化財 二本松市指定

 


· 本殿

(有形文化財(建造物)、昭和51年12月1日)




· 拝殿

(同上)




· 末社門神社本殿

(有形文化財(建造物)、昭和55年8月29日)

 



· 銅鐘1口

(有形文化財(工芸品)、昭和51年12月1日)


明暦4年(1655年)に安積郡部谷田(現・郡山市 日和田町(ひわだまち))の鋳物師が信者からの喜捨を募って鋳造、奉納したと伝えられる総高130センチの梵鐘。「木幡山の梵鐘」の名で知られ、大東亜戦争(太平洋戦争)で武器や弾薬といった戦略物資の不足を補う為に多くの梵鐘が回収され鋳潰される時勢においても供出を免れた一品。




· 一の鳥居の松

(天然記念物、昭和51年12月1日)




· 元亨の板碑1基

(有形文化財(考古資料)、平成15年2月1日)

 



· 「為民(いみん)」の碑1基

(有形文化財(歴史資料)、平成15年2月1日)


明治35年(1902年)に暴風により倒壊した三重塔を再建する為の土台石を探索中に、同年末に隠津島神社本殿の傍らから発見された高71センチ、中央部幅98センチの石碑。元来天明6年(1786年)に建立され、当時の内木幡村の名主紺野嘉簇(こんの よしむら)が、同3年に遭遇した大飢饉を教訓に非常時の備えの大切さを後世に語り継ぐべく残したものであるが、明治初年の神仏分離令を受けて仏教に関わる遺物と誤解され埋められたと考えられている。碑文によると、に花が咲くのは凶年の前兆という言い伝えがあり、その通りに天明2年に御山(木幡山)の竹に花が咲き実が成ると翌年に凶作が訪れ、「わらの粉のもち又草木の根葉まで食すれども飢えて死ぬ人数知らず」という状態になったといい、米価が3倍近く高騰し、粉糠(こぬか。小糠)やそば粕(蕎麦殻)、ひえ粕までもが食料として取引された事が知られる。