志賀理和氣神社 歴史 創建

 


社伝では、延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命香取神)・武甕槌命鹿島神)を勧請したことに始まるという。



9世紀初頭において、一帯では志波城(しわじょう/しわのき)造営(803年)・斯波郡(しわぐん。紫波郡)建置・徳丹城(とくたんじょう/とくたんのき)造営(811年)などの開拓が進んでおり、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のため、その時期に創建されたと見られている。奥羽の式内社では地主神を包摂しつつ中央神を勧請して創建される例が多いが、当社がその場合にあたるかは明らかでなく、神名「志賀理和気」の由来も定かではない。