蚕養国神社 歴史 概史
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では陸奥国会津郡に「蚕養国神社」と記載され、式内社に列している。会津郡の式内社は蚕養国神社と伊佐須美神社(いさすみじんじゃ。大沼郡会津美里町)のみであった。
この蚕養国神社について国史に記載は見えないが、社伝では承和年間(834年-848年)に陸奥・出羽国按察使(あぜち)兼鎮守府将軍の藤原富士麻呂(ふじわらの ふじまろ)の奏上により官社に列したというほか、寛弘7年(1011年)には県令の石部少将道秀らによって社殿が創設されたという。その後、兵火により社殿を焼失し衰退するが、会津藩初代藩主の保科正之(ほしな まさゆき)によって復興され、社殿造営と社領20石の安堵を得た。さらに寛保3年(1743年)には神階が正一位に進み、文化4年(1807年)には火災によって社殿を焼失したが、文政2年(1819年)に8代藩主の松平容敬(まつだいら かたたか)によって再建されたという。
明治維新後、明治9年(1876年)11月に近代社格制度において県社に列した。