菊理媛神 祭祀上の菊理媛

 


白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である白山比咩神社しらやまひめじんじゃ。石川県 白山(はくさん)市)の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房おおえ  まさふさ。1041年-1111年)が扶桑明月集(ふそうめいげつしゅう)の中で書いたのが最初と言われている。



14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』(けいらんしゅうようしゅう)には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓白山妙理権現顕座。」とある。



文明元年(1469年)に吉田兼倶(よしだ かねとも)が撰したとされる二十二社註式(にじゅうにしゃ ちゅうしき)には、「扶桑明月集云、・・・客人宮第五十代桓武天皇即位延暦元年、天降八王子麓白山。菊理比咩神也。」とあり、『大日本国一宮記(だいにほんこくいちのみやき)内には菊理媛が白山比咩神社の上社祭神として書かれている。



その後の江戸時代の書物において白山比咩神と菊理媛が同一神と明記されるようになった。



なお、神仏習合のなかでは白山比咩神は白山大権現白山妙理権現(はくさんみょうりごんげん)、または白山妙理菩薩とされ、本地仏は十一面観音とされた。



現在の白山比咩神社は、菊理媛神(白山比咩神)を主祭神とし、伊奘諾尊・伊弉冉尊も共に祀られている。



『玉籤集』は、熊野本宮大社くまのほんぐうたいしゃ。本宮)で菊理媛神(伊弉冉尊)が祀られていると記述している。