鹿島御児神社 由緒

 


創建については不詳。鹿島御児神社は『三代実録』に記載されている「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社のうちの一社」であり、延喜式神名帳にもその名が記載されている。



祭神の武甕槌命と鹿島天足別命は親子神であり、武甕槌命は香取神宮の祭神である経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の祭神である塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)の先導のもと、東北地方の平定を行ったとされている。御子神の鹿島天足別命は、経津主神の御子神である阿佐比古命(あさひこのみこと)と共に東夷征伐と辺土開拓の命令を受けて、海路を下向して奥州へとやってきたという。天足別命と阿佐比古命の乗った船が現在の石巻の沿岸へ到着し停泊した時、錨が石を巻き上げたことから「石巻」とこの地を呼ぶようになったという伝承が残されている。



天足別命を祀る神社は、宮城県から福島県の沿岸部にかけて数社鎮座している。福島県南相馬市鹿島区に鎮座する延喜式内社の鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)には天足別命と第六天魔王に関する言い伝えがあり、同じく延喜式内社である宮城県亘理郡亘理町鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)黒川郡富谷市鹿島天足別神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は、天足別命は祭神ではないものの神社名に「天足別(和気)神」という名前が入っており、いずれの神社も上記の『三代実録』に「陸奥国に鎮座する鹿島大神苗裔を祀る三十八社」として記録されている。なお、石巻市折浜地区には、香取伊豆乃御子神(阿佐比古命)を祀る延喜式内社の香取伊豆乃御子神社(かとりいずのみこじんじゃ)が鎮座している。



鹿島天足別命は奥州における大和民族の開拓事業の先駆者・地方開発の祖神として崇敬されており、古くから鹿島御児神社は仙台藩主などの権力者から社領・宝物の寄進や社殿の修築が行われてきた。明治7年(1874年)には村社に列し、大正10年(1921年)には郷社、昭和10年(1935年)には県社に列した。



鹿島御児神社は武神である武甕槌命と天足別命を祀るため、勝利の神として職業繁栄・悪疫除け・鬼門除け・安産の神・海上安全・交通安全祈願の守護神として信仰されている。