苕野神社 祭神について ⑤
苕野神社の社家である鈴木家の話として「奥相志」に記載されているものによれば、苕野の神は元正天皇の時代である養老元年(丁巳)に小島へ現れ、養老から保元年間に至る四百三十年のあいだ請戸地区と請戸川(うけどがわ)の北岸の棚塩(たなしお)地区の鎮守神として崇敬され、近代になり貴布根社と呼ばれるようになったとされている。ある書によれば、養老年間に神女が波に浮かび現れたと書かれているという。また、新汐渡媛という夫婦が「栄え行く 松に契りて 万代の 蔭を請戸の 浜に住むらん」という歌を残したといい、「新汐渡媛」という夫婦の名は、上記の文に出てくる荒氏夫婦につけられた神号ではないかと考察がされている。相馬藩主である相馬昌胤(そうま まさたね)も、苕野神社へ数首の和歌や詠歌を献上している。