苕野神社 祭神について ③
· 天竺もしくは震旦国王の妃説
o 正徳年間に記された「寺社好問誌」によれば、請戸の神社の祭神は天竺もしくは震旦(しんたん)国王の妃であると書かれている。王と王妃は不仲であり、王は妃を空舟に乗せて海へ流してしまった。妃を乗せた空船は漂流し、請戸の沖へと流れてきた。時に、村人の阿部氏という者が海に漁をしに出ており、漂流する空船を怪しんで、遠海へと引っ張りだしてしまった。海上で釣りをしていた村人である荒氏という者が、阿部氏により沖へと追いやられた空船が波に乗ってやってくるのを見た。荒氏はこの空船を接岸させて船内を覗いてみると女性がいたので、上陸してこの女性を養った。その後、小祠を波打ち際近くに建てて、この女性を村の守り神として祀ったという。
o 昔は何という神様なのか分からなかったので、神託を得ようと協議がなされた。神託を得るため神楽を奉納したところ、苕野の神から「我を貴船明神と信仰すべし」という託宣があった。そのため苕野神社は貴布根神(きふねのかみ)と称し、地名から請戸明神(うけどみょうじん)と呼ばれたという。神体は九体あり、一尺ほどの童形坐像の御子八神であるが、今まで一度も公開はされたことがないと書かれている。荒氏夫婦は束帯を着け船に乗り、この神像を傍らに安置した。毎年7月7日には「御召初め」という神事があり、麻単衣を新調し、神官が神像が身に着けている衣を取り替えたと記されている。