伊豆佐比売神社 祭神 ②

 


また、『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』では、享保4年(1719年)に著された『奥羽観蹟聞老志』が祭神を溝昨比咩(かうさひめ)としていることに触れ、同書が溝昨比咩と記したところには特別の記述はなく、ただ「圭田28束三毛田所祭溝昨比咩也」とあるのみと述べている。さらに、安永元年(1772年)の『封内風土記 巻之4』等、その後に著された諸誌が当神社の加階について全く同じ箇所に誤りがあることから、『封内風土記』等その後に著された諸誌が『奥羽観蹟聞老志』を基に書かれているのではないかと推測している。



これらを踏まえ『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』では、祭神を素直に「伊豆佐比賣命」と考えると「伊豆」は厳、「佐」はことを推し進める接頭的語意、「比賣」は女性で生産の根元として定説が成り立っているのだから「生成化育の神」すなわち当地の生産を守護する「穀霊、倉廩守護の神」と考えられること。祭神を溝咋比賣命と記載している『宮城県神社名鑑』が当神社の項の末尾に「に伊豆佐賣神社とあり、文徳実録は伊豆佐咩神に作る。社伝溝咋比咩とするはいかが、・・・」と記載していること。『利府村誌』に「この神は女性で、米作地帯の水の灌漑を第一に司り、秋の五穀豊穣へと農民が精出す上、この辺一帯の往古から水田開墾以来日夜尊敬されていた神社である。」と記していることを挙げ、当神社の神は「五穀豊穣の女神」である伊豆佐比賣命または豊受姫命(とようけひめのみこと)ではないかと考察している。