多賀神社(仙台市太白区富沢) 由緒
多賀神社の鎮座する地域には富沢遺跡・大野田遺跡などの縄文時代の遺跡や大野田古墳群、郡山遺跡があるなど、歴史的にも重要な地域であった。
多賀神社は仙台市内で一番古い神社であり、社伝によれば、景行天皇40年(110年)に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の時に勧請したという。第21代雄略天皇2年(458年)には圭田58束を賜り神礼祭式を行ったと伝わる。往古は「大鷹宮」と呼ばれていたという。
境内由緒書によると、多賀神社はこの地方の守護神として領主や武将から篤く崇敬されたという。第70代後冷泉天皇の御代には、鎮守府将軍である源義家が東征の折に名取川を渡り当社に参拝し、武運長久を祈願し自筆の物を奉納したという。
享保年間に建ててあった仮宮が大破。その後も歴代仙台藩主から崇敬されたが、伊達重村(だて しげむら)の寄進を受け、安永4年(1775年)に社殿の普請が行われた。角田城主であった石川宗光(いしかわ むねみつ)からも「多賀神社伊弉諾尊」の神号献上を受け、奥方の代参や侍女の参詣で神社も賑わったと伝わる。
明治5年4月に村社に指定、同42年には大野田地区の春日神社と東大野田地区の寶龍神社を合祀し、大正8年の8月には幣帛供進社に指定された。