若伊香保神社 歴史 概史

 


国史では、「若伊賀保神」の神階貞観5年(863年)に従五位下、元慶3年(879年)に従五位上、元慶4年(880年)に正五位上に昇叙された旨の記載が見える。しかし『延喜式神名帳には記載がないため、いわゆる国史見在社にあたる。



長元3年(1030年)頃の『上野国交替実録帳』では、「正□位 若伊香保社」(位は脱字)と記されるとともに玉殿1宇・幣殿1宇・鳥居2基・向屋1宇・美豆垣1廻・荒垣1廻・舞人陪従屋1宇・厨屋1宇の記載がある。この社殿規模は、伊香保明神社(三宮)、宿禰明神社(四宮:甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ))、椿榛明神社(六宮:榛名神社(はるなじんじゃ))と同等のものになる。



また『上野国神名帳』では、総社本において鎮守十社のうちに「正一位 若伊賀保大明神」と見えるほか、一宮本・群書類従本において群馬東郡または群馬郡のうちに「従四位上 若伊賀保(若伊香保)大明神」と記されている。



南北朝時代成立の『神道集』では、「上野国九ヶ所大明神事」や「上野国第三宮伊香保大明神事」に若伊香保神社の記述が見えるが、その中で若伊香保神社は上野国の五宮であるとされている。上野国の九宮までのうち、若伊香保神社は唯一の式外社になる。



明治に入り、近代社格制度では村社に列した。現在は泰叟寺に隣接して小祠を残すのみとなっている。