中川神社(中津川市) 概略

 


創建時期は不明。恵那山(えなさん)天照大神の胞衣(えな。へその緒)を収めた地(恵那神社。えなじんじゃ)とされていることから、古くからこの辺りが神聖な地とされていたと考えられ、伊耶那岐命が生まれた地という言い伝えもある。また、木曽川の女神を祀ったのが起源であり、この女神が後に3柱の女神(菊理媛命・伊邪册命・木花咲耶媛命)に変更されたという説もある。



天正2年(1574年)、武田勝頼東濃への侵攻の際に兵火で焼失する。



江戸時代中山道中津川宿の神社は3つ(八幡祠・白山権現祠・神明祠)となっており、中川神社の名は消失している。戦国時代の焼失から江戸時代初期の間に分祀されたと考えられる。明治時代になって「白山権現祠」が中川神社とされ、明治6年(1873年)村社となる。



現在の本殿は延宝5年(1677年)の再建であるが、この時には拝殿などは再建されなかった。平成14年(2002年)に拝殿、直会殿が再建され、同時に境内の整備が行なわれる。