祝(ほうり)

 


(ほうり)は、神道において神に奉仕する人の総称。また、神主禰宜(ねぎ)の次位にあって神に仕える者。祝子(ほうりこ)、祝部(ほうりべ)ともいう。

 

 



祝は、古代以来、神社に奉仕して、祭祀に従事した神職の一である。



その語義に関しては、


1 「ハラフ」の意味


2 「ハ」は「羽」で、衣の袖を振り神前に舞を奏したことに起こる


3 「匍匐在」として神前に「はひ侍ふ」という意味


などが唱えられる。




日本書紀仲哀(ちゅうあい)天皇(第14代天皇)8年正月の条に、伊賀彦(いがひこ)を祝として神を祀らせたとの記述がある。また、同書の神功(じんぐう)皇后(仲哀天皇の皇后)の巻に、紀伊国小竹社(小竹神社。しのじんじゃ)の祝、天野社(天野大社。あまのたいしゃ)の祝などと記していることから見れば、当時すでに神を祀るものを指して祝と称していたと考えられる。



各地には、信濃国(現・長野県)の諏訪大社(すわたいしゃ)では、鎌倉時代の初期に大祝、権祝、擬祝、副祝などの職名があり、肥後国(現・熊本県)の阿蘇神社(あそじんじゃ)には一祝、二祝、三祝、四祝、五祝、六祝、七祝、八祝、九祝、十祝、国造祝、金凝祝があり、伊予国(現・愛媛県)の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)では大祝、常陸國(現・茨城県)の鹿島神宮(かしまじんぐう)筑後国(現・福岡県)の高良大社こうらたいしゃ。高良玉垂神社(こうらたまたれじんじゃ))等には古く祝の職が存在した。



古くは祝をも祝部(ほうりべ)と称したので『職員令(しきいんりょう)に定めがあり、『令義解(りょうのぎげ)には「祝部(謂為祭主賛辞者也)其祝者、国司於神戸中簡定、即申太政官、若無戸人者、通取庶人也」という記述がある。明治時代以降における祝部は、皇大神宮(内宮)および豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮)に存するので、両宮の摂社末社、所管社には祝部を置き、神社の守衛および御匙、御鑰(みかぎ)を保管し、かつその掃除を監督させると規定される。





奈良時代に編まれた『万葉集』には、大神神社おおみわじんじゃ。奈良県桜井市)の祝が(ぬさ、御幣)を奉じて祀るの木を詠む旋頭歌(せどうか)が採録されている。

 


三幣帛取 神之祝我 鎮齊杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴


 訓読:御幣(みぬさ)取り 三輪の祝(はふり)が 斎(いは)ふ杉原 薪(たきぎ)伐(こ)り ほとほとしくに 手斧(てをの)取らえぬ


— 旋頭歌(1403番)、『万葉集』第七巻 雜歌