多岐神社 歴史
· 和銅年間といわれるが、創建時期は不明。
· 1189年(文治5年)
如法経塚(にょほうきょうづか)が作られる。(社殿裏の円墳上にある。)
· 1550年~60年頃(弘治、永禄年間)
動乱により社領没収。
· 1585年(天正13年)
洪水で大きな被害を受ける。この洪水で木曽川の流れが変わり、尾張国と美濃国の境が変更され、尾張国葉栗郡(はぐりぐん)、中島郡(なかしまぐん)、海西郡(かいさいぐん)の一部が美濃国羽栗郡(はぐりぐん)、中島郡、海西郡となる。
· 慶長以後、社殿などを復興。
· 1873年(明治6年)
郷社に指定される。
· 1913年(大正2年)
日照りが続いた際に社務所前に3種の稲(早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて))が生え、霊験として多くの参拝者があったという。(社殿横にこれを記念した奇端之稲発生の地の石碑がある。)
· 1962年(昭和37年)
金幣社に指定される。