鉛練比古神社 歴史

 


崇神天皇の頃、天日槍命の子孫がこの地を開拓し、祖神を祀ったと伝わる。後、延暦寺領となった際、同寺の鎮守であった日吉山王権現ひえさんのうごんげん。大山咋神)を勧請合祀した。元暦元年(1184年)境内地の寄進を受けたが、賤ヶ岳の戦いで社殿は荒廃した。慶長7年(1602年)、改めて除地の寄進を受け復興した。昭和55年(1980年)、境内地を北陸自動車道が通ることになったため、社殿等新築された。『延喜式神名帳』に記載されている近江国小社「鈆練日古神社」である(式内社)。明治9年(1876年)に村社に列格した。