己爾乃神社(開発) 由緒
社伝に、天長6年(829年)に伊香厚武が創建したとする。厚武は「大夫厚武」とも称し、伊香宿祢豊厚を祖とする伊香氏(いかうじ)の末孫であるといい、伊香氏は中臣氏の同族なので、中臣氏の祖神である天児屋根命と伊香津臣命を奉斎したものという。しばしば野洲川の氾濫に見舞われたため、『己爾乃神社之縁由書』という1冊を残して神宝や古記録を流失している。また若一王子(にゃくいちおうじ)という神宮寺もあり、その跡を継ぐのが近在の蓮光寺(れんこうじ)であるが、『近江輿地志略』(おうみよちしりゃく)には神社付近に伝教大師(最澄)作という仏像を安置する薬師堂があったと記すので、それが本地仏を祀っていたものと推測される。後に神祇管領の吉田家より正一位の宗源宣旨(そうげんせんじ)を受け、現に「正一位若一大権現」と記された神鏡を伝えている。旧社格は村社。