飯名神社 常陸国風土記の記述 飯名社の祭神
稲塚古墳の墳上には稲敷神社(いなしきじんじゃ)という小祠がある。なお、稲塚古墳は民有地であり、その墳上にある稲敷神社も非公開の私祠である。そのため郷土調査委員を含む部外者の参拝は受け付けていない。
稲敷神社は、民有地の私祠でありながら、戦前の神社明細帳には「稲敷郡八代村稲塚」「無格社」として記載がある。公的な資料に基づくと考えられる「龍ヶ崎市内の寺社」には、「創建祭神不詳」「大正10年(1921年)に倒壊、後再建」と記されているという。
新編常陸国誌は、稲塚に「筑波権現」と「一葉稲荷」の二祠があると記している。
· 「この稲塚俗人これを筑波山とも云り、上に筑波権現の小祠あり、六十年前後にこの塚やけたり、大木もありしが、枯たるによりて持主の男切たり、持主は塚の傍に居れり、墳上なる石の小祠は、焼後に持主の百姓建たるなり、されどもとより筑波の神跡なりと云伝へしと云」。
· 「この塚の後少し程ありて一葉松あり、大木にして二囲もあるべし、葉悉く一葉なり、その下に一葉稲荷とて小祠あり」。
飯名社にかかる記憶は、「筑波の神跡」の伝承にうかがえる。大正5年(1916年)の「稲敷郡志」には、八代村の東の田圃中に稲敷神社又は筑波神社と呼ばれる小祠があったが、1840年頃に焼失したと記されているという。ただし新編常陸国誌の記述は、「筑波の神跡」の伝承に基づき、火災後に筑波権現の石祠が建立されたという趣旨であり、それ以前から小祠が存在していたかは定かでない。現況は不明だが、「広報稲敷」の記事に、撮影時期不明の龍ケ崎市歴史民俗資料館所蔵の小祠(石祠ではなく社殿になっている)の写真が掲載されている。
稲塚の一葉松下にある一葉稲荷については、由緒等は記されておらず、現況も不明である。
稲塚を「筑波山」と見れば、一葉稲荷を山麓の「飯名社」になぞらえることもできる。いずれにしても稲塚二祠から「飯名神」を推測することは困難と考えられる。