鳥之石楠船神 神話での記述

 


神産みの段でイザナギイザナミの間に産まれた神で、鳥の様に空を飛べる。『古事記』の葦原中国平定の段では、天鳥船神が建御雷神(たけみかづちのかみ)の副使として葦原中国に派遣され、事代主神の意見をきくために使者として遣わされた。しかし『日本書紀』の同段では天鳥船神は登場せず、事代主神に派遣されたのも稲背脛(いなせはぎ)という別の者になっている。稲背脛は「熊野諸手船、またの名を天[合+鳥]船」という船に乗っていったというが、古事記では天鳥船神それ自身が使者となっている。また熊野諸手船は美保神社(みほじんじゃ)の諸手船神事の元である。



これとは別に、『日本書紀』の神産みの段本文で、イザナギ・イザナミが産んだ蛭児(ひるこ)を鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)に乗せて流したとの記述があるが、『古事記』では蛭子が乗って行ったのは鳥之石楠船神ではなく葦船(あしぶね)である。



また『日本書紀』の神武天皇の章には、『饒速日命(にぎはやひのみこと)、天磐船(あめのいわふね)に乗りて、太虚(おほぞら)を翔(めぐり)行きて、是(こ)の郷(くに)を睨(おせ)りて降(あまくだ)りたまふ』と記されており、平安時代の偽書ともいわれる『先代旧事本紀』では、饒速日尊が天磐船で大和に天下ったとの記述は詳細なものになっている。