佐志能神社(笠間市) 由緒 中近世の笠間城 ③
佐白山正福寺
佐白山の仏寺は、元久年間の正福寺(しょうふくじ)の破却後、ほどなく再興して宝勝、秀林、座禪、松本、閼迦井、櫻本の六坊が立った。しかし五坊は改めて整理され、天正18年(1590年)、宝勝坊を山上に移して観音寺を建立した。当初は勝福寺と号していたが、貞享3年(1686年)に正福寺と改めた。元禄10年(1698年)に伽藍を修補し、翌年の元禄11年(1699年)、「佐白山六社権現」を境内に造営した。明治4、5年(1871-1872年)、伽藍が火難に遭い、難を逃れた尊体が五台山玄勝院に安置されていたが、昭和5年(1930年)、仮本堂を建立して佐白山観世音寺と号した。平成24年(2012年)、佐白山正福寺の旧称に復した。
大日本地名辞書の「佐白山三所大権現」にかかる記述は、明記はないが、語彙や文脈からは新編常陸国誌を参照しているため、「三白権現」や「三所大明神」との混同による誤引用とみられる。六社権現は明治初期の火災の影響か、正福寺境内には現存しないようである。