大井神社(水戸市) 歴史 概史

 


平安時代中期の『延喜式神名帳』では「常陸国那賀郡 大井神社」と記載され、式内社に列している。ただし、笠間市大井神社も式内社の論社とされている。承平年間(931年-938年)、平繁盛(たいらの しげもり)と意富臣の族の松本家秀が大宮司を務めたという。



応永末年には兵火で社殿を焼失、永正年間(1504年-1521年)に再建したが、天正16年(1588年)の兵火で類焼した。



江戸時代寛文8年(1668年)に徳川光圀の命で社殿を修営した。そのときの社名は「香取大明神」であったが、寛政年間(1789年-1801年)に元の「大井神社」に復した。安政年間(1854年-1859年)、徳川斉昭の命で現在の拝殿が造営された。



明治に入り、近代社格制度では村社に列した。