ニギハヤヒ 神武天皇と饒速日命の関係
『日本書紀』と『古事記』によると、神武天皇(イワレビコ)と饒速日命(ニギハヤヒ)の出会いのあらすじは次の通り。
詳細は「神武東征」を参照
「神武天皇(イワレビコ)は塩土老翁(シオツチノオジ)から、東方に美しい土地があり、天磐船(あめのいわふね。鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ))で先に降りたものがいると聞く。そして彼の地へ赴いて都を造ろうと、一族を引き連れ南九州から瀬戸内海を経て東へ向かい、難波碕(なにわのさき。現代の大阪)へたどり着く。その後河内国 草香村(くさかむら)から生駒山を目指す。そこに土着の長髄彦(ナガスネヒコ)が現れたため戦うが苦戦する。神武は「日(東)に向って敵を討つのは天の道に反す」として、熊野(紀伊半島南端部)へ迂回し北上することにした。
菟田(うだ。奈良)に到達し高倉山に登ってあたりを見渡すと、八十梟帥(やそたける)が軍陣を構えているのが見えた。その晩神武の夢に天神が現れ「天神地祇を敬い祀れ」と告げる。その通りにすると敵陣を退治でき、続いて長髄彦を攻める。
すると長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽羽矢(あめのはばや)と歩靫(かちゆき)を見せる。すると神武も同じものを見せた。長髄彦はそれでも戦いを止めなかった。饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、神武天皇に帰順して忠誠を誓った。
ただし、『先代旧事本紀』では、既に饒速日は復命せず現地で亡くなり、亡骸(なきがら)は速飄(はやちかぜ)により天に上げられ、葬儀は七日七夜続いたとあり、神武東征の時点で彼は故人となっている。