阿彌神社(阿見町中郷) 旧霞ヶ浦神社

 


参道の西側にあるトタン葺神明造の社殿は、旧霞ヶ浦海軍航空隊の敷地内にあった旧霞ヶ浦神社(かすみがうらじんじゃ)である。かつては海軍航空隊創設以来の航空殉職者を祀っていた。終戦までに霊名録は16巻、合祀された戦没者は5,537柱であった。



創祀は大正14年(1925年)、山本五十六(やまもと いそろく)海軍航空隊副長兼教頭(当時)の発案によるもの。隊員の協賛、寄付、奉仕を得て社殿等を造立、翌年4月に竣工。占領軍により強制廃絶となったが、社殿は阿彌神社境内に移され、霊名録は民家に秘匿された。鳥居や玉垣は廃棄、拝殿は未竣工だった。ちなみに土浦海軍航空隊(現・陸上自衛隊武器学校)にも同旨の土浦航空隊神社があり、社殿と大鳥居が有志により民家やつくば市小白硲(こじらはざま)の鹿島神社に移築され現存している。



隊員の尽力により建立された霞ヶ浦神社ではあったが、主権回復までに社殿の損傷が著しくなったという経緯もあり、維持管理等の問題が重視され、再建されることはなかった。昭和30年12月、旧海軍関係者は旧海軍航空殉難者慰霊塔を建立し、その基部に霊名録を収めた。しかしその後、慰霊塔も廃絶となり、昭和47年5月(1972年)、霊名録は霞ヶ浦沿岸から離れ、東郷神社(とうごうじんじゃ)境内霊社 海の宮(うみのみや)に移された。



このため、現在の阿彌神社境内にある旧霞ヶ浦神社は、社殿が保存されてはいるが廃絶している。由緒書きにも境内社として記載はない。