麻賀多神社(成田市) 歴史

 


社伝によれば、景行天皇42年6月晦日、東征中の日本武尊(やまとたけるのみこと)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。応神天皇20年、神八井耳命(かんやいみみのみこと。神武天皇皇子)の8世の子孫である印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀った。また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神(わくむすびのかみ)を併せ祀った。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。推古天皇16年、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命(ひろすきてぐろひこのみこと)が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮とした。



延喜式神名帳に記載の際、「真賀多真」が三種の神器の1つと同名であるとして、1字取って「真賀多神社」に改称した。後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。