姉埼神社 歴史 創建
『古事記』・『日本書紀』では、景行天皇(第12代)40年、日本武尊が東征の際、走水の海(はしりみずのうみ。浦賀水道)で暴風雨に遭ったが妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)の犠牲によって上総に上陸することができたとする記事が見える。社伝ではその時のこととして、日本武尊が宮山台(現社地)で弟橘姫をしのび、風の神である支那斗弁命を祀ったのが創建とする。
また社伝では、日本武尊の死後に父である景行天皇が日本武尊の縁の地を歴訪し、姉埼神社に日本武尊を合祀したとする。さらに、成務天皇(第13代)5年には当地を支配していた上海上国造(かみつうなかみこくぞう)の忍立化多比命(おしたてけたひのみこと)が天児屋根命と塞三柱神を合祀したとするほか、履中天皇(第17代)4年には忍立化多比命の孫の忍兼命(おしかねのみこと)が大雀命を合祀したとする。伝承の真偽は詳らかでないが、姉崎一帯では大型前方後円墳を含む姉崎古墳群の分布が知られ、上海上国造の勢力の中心地であったと推測されている。