磐鹿六鴈 後裔氏族

 


磐鹿六鴈について、『日本書紀』では膳臣(かしわでのおみ、のち高橋氏)の遠祖とするとともに、上記のように膳大伴部(かしわでのおおともべ)が与えられたと見える。



また『新撰姓氏録』(高橋朝臣本系)逸文によれば、景行天皇の時に磐鹿六獦命が「膳臣」の氏姓を賜ったのち、天武天皇の時に六獦命十世孫の膳国益が「高橋朝臣(高橋氏)」に改めたという。

 




『新撰姓氏録』(抄録)には、次の氏族が後裔として記載されている。



· 左京皇別 膳大伴部


(かしわでのおおともべ)


 - 阿倍朝臣同祖。大彦命孫の磐鹿六雁命の後。続けて、景行天皇が淡水門に至った時に磐鹿六雁が白蛤を膳となして進上したので、六雁は膳大伴部を賜ったとする。




· 右京皇別 若桜部朝臣


(わかさくらべのあそん)


 - 阿倍朝臣同氏。大彦命孫の伊波我牟都加利命(いわかむつかりのみこと)の後。

 



この抄録では、高橋朝臣(左京皇別)は大稲輿命(おおいなこしのみこと)の後として記載される。その条の中では、景行天皇のときに大蛤を献じたことにより膳臣の姓を賜り、天武天皇12年(683年)に膳臣から高橋朝臣に改賜姓されたとする。



なお、『新撰姓氏録』に見える「膳大伴部」は膳氏の統轄下に置かれた伴造氏族を指すが、その本質は『高橋氏文』に見えるように国造級の地方豪族層であったと見られることから、姓氏録の記すような膳氏との同族関係は本来はなかったとされる。