磐鹿六鴈 記録 その他
『古事記』では六鴈の記載はないが、景行天皇段において、同天皇のときに「東之淡水門」および「膳之大伴部」を定めた旨が記されている。
また『常陸国風土記』逸文では、大足日子天皇(おおたらしひこのすめらみこと。景行天皇)の東国巡幸の際に「伊賀理命(いかりのみこと:五鴈命の意か)」に賀久賀鳥(かくがのとり。ミサゴ)の捕獲を命じ、伊賀理命はこれに成功したと見える。捕鳥に成功する点は異なるものの『日本書紀』や『高橋氏文』と類似する伝承であり、これと六鴈を同一人物と見る説がある。
そのほか『新撰姓氏録』逸文では、景行天皇の時に磐鹿六獦命が「膳臣」の氏姓を賜ったと記されている。