磐鹿六鴈 記録 高橋氏文
『本朝月令』所引『高橋氏文』(たかはしうじぶみ)逸文では、『日本書紀』の伝承の経緯について、異伝も含め詳細に記されている。これによると、景行天皇53年10月に景行天皇が上総国の安房浮島宮に至った時、磐鹿六獦命は皇后の命で「カクカクと鳴く鳥」を捕らえようとしたが果たせなかった。しかし堅魚(かつお。鰹)と白蛤を得たので皇后に捧げると、天皇に献上するよう命じられた。そこで六獦命は无邪志国造(むさしこくぞう)上祖の大多毛比、知々夫国造(ちちぶこくぞう)上祖の天上腹と天下腹らを呼び寄せ、膾・煮物・焼物を作って献上した。天皇はこれを誉め、永く御食を供進するように命じ、また六獦命に大刀を授けるとともに大伴部を与えた。さらに諸氏族・東方諸国造12氏から枕子(赤子)各1人を進上させ六獦命に付属せしめた。またこの時に上総国の安房大神(現在の安房神社(あわじんじゃ。千葉県館山市)に比定)を御食都神(御食津神)として奉斎したが、この神が大膳職(だいぜんしき)の祭神であるという。
また『政事要略』(せいじようりゃく)所引『高橋氏文』逸文によると、六鴈命(むつかりのみこと。六獦命/六雁命)が景行天皇72年8月に病で死去すると、天皇は大変悲しんで親王の式に准えて葬を賜り、宣命使として藤河別命(ふじかわわけのみこと)・武男心命(たけおごころのみこと)を派遣した。そして、六鴈命を宮中の食膳を司る膳職に祀るとともに、子孫を膳職の長官および上総国・淡路国(ここでは安房国)の長と定め、和加佐国(若狭国)は永く子孫らが領する国として授けたという。